2012年7月23日月曜日

我家のINGRAM MAC-11


先日、引越してきてずっと未開封だった段ボール箱から懐かしいSMGが出てきた。
MGC製のINGRAM MAC-11である。
20年以上前に今はない横浜のホビー店で購入したものだ。私は特別モデルガンマニアでも何でもないが、雑誌で実銃の写真を見た時、機械物好きの私の琴線に触れたのがMAC-11である。製造コストを押さえるため、組み立てを簡素化し不良品の発生をできるだけ排除し、使用中のメンテナンスを容易にするその極めて単純なメカニズム、そして外装は溶接等を極力減らしたプレス鋼板のシンプルだが必然から生まれた凄みのあるフォルムを形成している。

そんな矢先きこのSMGがモデルガン化されたことを知った。さすがに金属モデルで発売されることはなかったが,その質感をできる限り再現するために外装は特殊な樹脂で造られ要所は金属部品が使われていて、サイズに比してズシリとくる重量や、持った時のバランスはすばらしいものがあった。普通ならここで火薬をセットしブローバックを楽しむところだが、私がモデルガンマニアでないのがここで一度もこのSMGを動作させたことがない。ただ手にとってその質感を楽しんでいただけである。

一般の人々から見れば「殺傷するための道具をオモチャにした物」ということになってしまうが、このSMGは機械としての魅力で今も私の心を捉えて離さないのである。
これは無類の機械好きにしか分からないことであろうが。


2012年7月13日金曜日

古いラジオに想う


我家に恐らく1960年代の製品と思われるRCA VICTOR製の真空管ラジオがある。
主にAFN(FENのほうがしっくりくるが)を聴くのに使っている。電源を入れてしばらくはバリ,バリとノイズがで出るが,その後は温かい潤いのある音を聴かせてくれる。
カントリーミュージックやジャズは別格の味わいで,特に人の声は素晴らしい。よってニュース等もとても心地よく聞こえる。これを聴いてしまうと真空管式のチューナーが欲しくなってしまうような音色である。

真空管式チューナーはやがてソリッドステート式になりアルプス電気がバリコンの製造を中止したことにより全てシンセサイザータイプになってしまった。
これらの経緯は現状より更に音を良くするための変遷ではなく,ただ単に使い易さ,製造手間の簡略化,コストダウンのみを追求したものであると私は思っている。
世の中の工業製品はこの道筋を辿ることがある意味宿命ではあるが,だからやはりオーディオ製品の純粋な音の完成点へは現在よりももっと以前に到達していると考えるべきであろう。

現代のオーディオ機器に魅力を感じられないのは案外こういうところに原因があるのかもしれない。私も含めビンテージオーディオに走ることは懐古趣味でも何でもなく音楽好きにとっては至極自然な行為であると思う。
重箱の隅をつつくような理論の上にたった製品はもううんざり。古い小さなラジオ一つに今のオーディオ機器は太刀打ちできないのである。





2012年7月9日月曜日

U.S.NAVY Type G-1



先日クローゼットの整理をしている時に懐かしいジャケットを発見した。写真にあるホースハイド製アメリカ海軍のG-1である。
これはレプリカやデザイナーズ物とかではなく、30年程前に入手した第二次大戦中に使用されていたれっきとした「本物」である。当時は都内でビンテージ物の古着とかを扱っている、ちょっと気の利いた店には一着や二着このような「本物」のフライトジャケットが置いてあったものだ。
非売品も結構あったが、話しのなりゆきによっては譲ってもらえることもあった。

ダグラス SBD ドーントレス急降下爆撃機やグラマン ヘルキャットのパイロットが身に付け大空を飛び回っていたであろうG-1は第二次大戦まではU.S.NAVYを示す印が襟の裏側に記されている。ボアのついた襟を立てると、ちょうど後の首筋の辺りに「U.S.N」または「U.S」の文字がペイントされている。また、裾と袖口のジャージも上側と下側が二段の異なった編み方のとなっている。
これに対し第二次大戦以降、朝鮮戦争くらいの年代になるとフロントファスナーを開くと見える風除けのフラップの下部に「U.S.N」の文字がパンチングされているタイプとなる。ジャージの編み方も一般的な物となっている。現在レプリカとして出ているものは、大体が朝鮮戦争以降のモデルである。

当時のフライトジャケットはサイズが小さい物が多い。写真のものも日本のMとLの中間位のサイズで体のそう大きくない私が着ても小さいくらいである。
それは当時のフライヤー(パイロット)は身体の小さい者が選ばれていたということである。狭い戦闘機のコクピット、航続距離(燃料消費量)、運動性能を考えても搭乗員はできるだけ小柄なほうが良いわけである。
大きいサイズのジャケットは主に地上勤務のスタッフ用だったようである。したがって小さいサイズの物のほうが当時実際にフライヤーが袖を通し、大空を飛びまわっていた可能性が高い。そしてこれこそが本当の本物といえる。

こんなことを1時間も2時間も話しながら手に入れたこのG-1は私自身のフライトジャケットブーム真っただ中時代の懐かしい一品である。




2012年7月5日木曜日

足元にも及ばない音



近くに里山がある大きな公園があり、月に何回か愛犬の体力作りに出かけている。
雑木林の中を歩くたびに感じるのは、自然界の音が何とすばらしいかということである。鳥のさえずり、木立を揺らす風の音、夕立前の雷鳴などなど。
そしてこれらの音を耳にするたび「この音を再生、再現することは到底無理だな」ということである。

機器の新旧に関わらずあるグレード以上のオーディオ装置は、時として実際の楽器や演奏以上に「それらしく」聴かせることがある。特にジャズなどはマスタリングの妙なのかその傾向が強い。
楽器などは演奏される場所などを考慮にいれ、不確定な要素を取り除いて演奏し、それなりのミキシング、マスタリングをほどこせば一定レベル以上のクオリティーの音を収録することは可能であろう。またその収録環境が分かれば再生、再現も比較的容易である。

しかし、自然界に存在する音はそんなものとは全く違う。何がどの様に影響しあい、また何万種類の音が複雑に重なりあって今その音が耳に届いているのであろうか。
これはもう神のみが知る音の世界である。このような音世界をたかが電気を使った機器で収録し、それをまた電気をつかったオーディオ機器ごときで再現できるわけがないのである。

自然界が発生する音は何もかもが別格である。あまたある楽器の銘機、それらを収録した音源を再生するオーディオ機器の銘機。
しかしこれらが束になってかかってこようと、自然が発生する音の足元にも及ばないのである。

2012年7月2日月曜日

PC音源でTANNOYを聴く


我家からCDプレーヤー、CDソフト及びそれらに付随する物が消えてから半月ほどがたった。
今、音源はアナログとPC、そしてFMである。FMチューナーはNHK-FMを聴くためにあるようなものだが、他の音源にはない独特な音世界があり気に入っている。この辺のことはまた後々のブログに書いてゆきたいと思っている。

このところ、クラシックを聴く時間が増えた。というのもPCから再生した音源とTANNOYの相性が非常によく、気持ちよく音楽が楽しめるのである。
昔からTANNOYのデュアルコンセントリックユニットは管楽器やピアノの高音域が時として耳障りに聴こえることがあると言われてきた。
私もCDを再生していた時は同様の思いをしたことが時々あった。それがPC音源にしてから同じ楽曲でもそう感じることが少なくなった。
人間の耳は測定器を遥かに越える何かがあると言われている。きっとそんな部分がほんの微妙なニュアンスの違いなどを察知するのであろう。

CDプレーヤーは内部でエラーの補正をしたり様々なサーボがかけられたりと、ある意味余計とも思われる細工をして音を再生しているがため、これが裏目に出ている気がしている。
PC音源もオーバーサンプリングなどをして再生すると途端、音に嫌味な感じが付いてくるようで、オリジナルのサンプリングレートで粛々と再生した音が最も私にはよく聴こえる。
CDプレーヤーの場合、高速で回転するディスクからのストリーミング再生であるため、諸々の処理は仕方ないところではあるが。そしてある意味これが「44.1kHZ/16bitを回転するディスクから直接再生する」ことの一つの限界点であるように思われる。
やはり元がファイルなのだから、ファイルの処理はPCにお任せておくのが一番というところか。
またこの先どのようなファイル形式が登場しようと、それはPC上で作られたもの。今からCD音源をPCに取り込んでおけば、この先CDプレーヤーがこの世から消え去ろうと、その楽曲が聴けなくなることはまずないはずである。

レーザーディスクもビデオデッキもMDもDATもすでに消滅してしまっているのに近い状況である。今のうちになくなる可能性が極めて低い媒体に自分の長年に渡るコレクションを保存しておくのは大事なことなのかもしれない。