2012年12月28日金曜日
ハードボイルドな彩り
我家のリビングに新しい彩りが加わった。
興味のない人には全く分からないだろうし、恐らく気にもとめないものであろうエアガンもしくはガスガンで撃ち抜いたターゲットペーパーである。
私がお遊びで撃ったものなら何のことはないが、これは先日さるモデルガンメーカーの社長さんより頂いた物だ。
試射、練習に用いられたターゲットペーパーということで、ど真ん中を射抜いている物もあれば、照準が安定しない物、タンブリング弾など様々で、サイトインの苦心がうかがえる。弾痕が小さいのでエアライフルの鉛弾で撃ち抜いたもののようだ。
オーディオ機器もそうであるが、趣味の商品を開発、製品化するにはまず何よりも開発者自身(主には社長)がそのものに精通し、自分自身がそれを好きで好きでたまらないという気持がないと、なかなか消費者の琴線に触れるような製品が誕生しない。
以前のオーディオ機器は皆そのような意気込みが感じられたが今はというと・・・。
それに比してモデルガンメーカーの社長さん方はすごい。
世間一般の人たちから一番白い目で見られるであろう「銃」の実寸大の模型を製造しているのである。恐らく利益がたっぷり出るわけはないであろうし。
これこそ心底そのものが好きでないとできない商売の最右翼ではないか。
私自身は「銃」自身にはそれほど興味があるわけではない。しかし無類のメカ(特に金属製)好きで、その目から見ると銃は一寸の無駄もなく内部も含めて必要美に溢れた「固まり」である。
男であれば本能的に惹かれる「何か」が必ずそこには存在している物が「銃」「モデルガン」ではないか。このような趣味の極致をいくような製品を製造しているメーカーには初志貫徹で是非がんばってもらい、オーディオ業界の二の舞だけは踏んでほしくない。
射抜かれたターゲットペーパーを眺めながらそう思う。
2012年11月20日火曜日
モノラルをOLD JBLで聴く
フレームに型式の刻印がある初期型D131、最初期型の075、2.5kHzクロスのN2500、オール米松合板のエンクロージャー。1956年当時のまだメーカーが世界中で受け入れられる音をめざすわけではなく、ひたすら自分達の音を追求していた時代のまさにJBLがJBLの音を発していたシステムである。言い換えればユーザーに媚びた音ではなく、「これが我々の音。気に入らないなら他のメーカーをどうぞ」という感じであろうか。
最近はこのシステムでモノラル音源を聴くことが多い。ステレオ音源をあえてモノラルにして聴くこともある。ステレオ音場では味わえない音の密度、力強さ、充実感、そして音楽そのものの安定感が格段に増して聴こえる。
あたり前のことだが自然界にステレオで発せられる音などはなく、楽器の世界も同様でピアノにしてもサックスにしてもモノラルなのである。それらの音がただ人間の左右の耳に届く時間差により広がりをもって聴こえる(ステレオ感)というだけの事である。これが本来の音場で、あてステレオシステムなどで再生する必要はないはず。
そもそもオーディオ機器がステレオ化されたのはレコードの録音がその様になったからで、ある意味レコード業界につられた感がある。更に二匹目のどじょうを狙って4チャンネルなるものも開発されたが、ほとんど見向きもされず短命に終わっている。
このように私の好きなモノラルは音が不必要に動かないので聴き疲れがなく、またリスニングポジションが特定されない。簡単に言えばどの場所で聴いても良い音が楽しめるというわけだ。これは長時間のリスニングには非常に大切なことで、なにか他の作業をしながら聴くには最適である。
こんなに古いスピーカーから奏でられるモノラル録音の音楽が現代のオーディオに物申すとでも言いたげに今日も鳴っている。
2012年11月15日木曜日
ノンアルコールビールとオーディオ
最近のノンアルコールビールは美味しくなった。この種の飲料の草分け的なバービカンの時代からすると考えられないくらいの進歩だ。
第三のビールも十分ビールに太刀打ちできるレベルに到達したが、ノンアルコールがここまでくるとは思わなかった。
普段はアルコール入りビール(おかしな言い回しだが)を飲む私もオーディオ機器のセッティングをしながらちょっと一杯などという時はアルコールが入ってしまうと感覚(聴覚)が鈍くなり余りよろしくない。酔いがさめた時に聴くと「何だこの音」となってしまうことが多いのでこんな時ノンアルコールビールは重宝する。セッティングは体を使うので結構ノドが乾く作業なのである。
ここまで美味しくなったならもうビール(本当の)は飲まなくても良いんじゃないと言われそうだが、いやそうではない。よくもここまでビールに近づいたということでまだ完全ではない。
オーディオの世界では俗にいわれるビンテージ機器と現代のハイエンド機器の音。この二つにはどうしても埋まらない音に関する溝がある。それは作られた年代の違いからくる技術の差もあるが、現代では手に入らなくなったり、使用が規制されてしまった材料、物質からくるものが多々ある。音が良いとされるオイルコンデンサーに使用されていたPCBはその音に大きく貢献していたと言う。ノンアルコールビールや第三のビールも製造技術で補える部分はもう限りなく頂点付近まで到達していると思う。やはり後はビール以外で使って良い物いけない物、税金に絡む麦芽の含有量などが「あと一歩」を拒んでいるのかも知れない。
しかし今までビールが飲めなかったシチュエーションで気軽に楽しい気分が味わえるノンアルコールビールは今後増々人気が高まっていくジャンルではないかと思う。
だだ、アルコールが入っていないので冬に飲むと体が冷えてしまうのが私には最大の「あと一歩」であるが。
2012年11月6日火曜日
エルサウンドの電源
この電源は良い。
私は日頃パソコンからの音源再生にDDコンバーターを使っている。これは通常PCからのバスパワーで作動するのであるが外部電源の接続も可能となっていて、メーカーは外部電源を接続したほうが音質的にもメリットがあるとアナウンスしている。
ところが製品には最初「動作確認用」と称して見るからに安っぽいスイッチング電源タイプのACアダプターが付属してくる。
DDコンバーターの入力電圧が9〜12Vであるのに対し、付属のものは8Vである。聞くところによるとこのDDコンバーター、出荷の時期により付属のACアダプターの出力電圧はばらばらのようで知人の製品には9.5Vのものが付属していたらしい。いやはや適当なものである。
そこで以前から気になっていたエーワイ電子(ブランド名:エルサウンド)のアナログ電源の導入となった。大阪にあるLED関連製品をメインに手がけている会社でオーディオ関連はほとんど社長の趣味が高じてのことらしい。
しかしそのラインナップはなかなかマニアックで、しかも低価格。この電源もそんな中のひとつである。
トロイダルトランス搭載で整流回路にはSBD(ショットキーバリアダイオード)が用いられ出力電圧12V、電流容量は2.5Aと余裕たっぷり。
そしてこの製品の更に良いところは、電源からのノイズリダクションに関する回路が何も入っていないところである。
ノイズリダクション回路が入っている機器の音は、どのような高額機種であっても何かが足りない音色になり私は嫌いだ。
音出しをすると一聴して音が滑らかになり、余韻が美しいことが分かる。そして中低音の骨格がしっかりしてくるので音の安定感が増す。音の滑らかさ、余韻に関してはバッテリー駆動でも再現できるが重心の低いガッチリした音のニュアンスはやはり100V駆動に軍配が上がる。
それとバッテリー駆動は電池容量の低下と共に音質が変化するのも長時間のリスニングには不向きである。
しかし電源の重要性は分かっていたがここまで違うとは驚きで、価格もこの音質で16,000円。ACアダプターに疑問をお持ちの方は是非試してみる価値があるのではないかと思う。
2012年10月22日月曜日
オリジナル盤に思う
ジャズのオリジナル盤は相変わらず高値がついている。誰もが知っていてCDで何度も再発が繰り返されている人気盤などはとてもレコードとは思えない値段だ。
そんなオリジナル盤の魅力はやはり音の良さと発色などを含むジャケットの素晴らしさであろうか。
しかし何で50年も60年も前のレコードがこんなにも魅力的で良い音がするのか。よく言われるのが当時の録音機材に味わいのある音がするものが多かったということ、例えば真空管の録音アンプを搭載したテープレコーダーや調整卓など。
しかし今聴いても力みなぎる太い音がする最大の要因は、そのような音がする機材で録音した音を記録した磁気テープ(マスターテープ)が当時はあたり前だが新譜の録音なので非常にフレッシュであったということ。磁気テープの宿命である録音後の保存の段階で時が経つにつれて起こる直接音質に影響する転写や磁気特性の劣化などがない。
したがって何十年も経って劣化してしまった現在においてマスターテープからいかに直接デジタルマスタリングしようが当時の音には到底及ばないのは当然である。
まして今は各レーベル共に貴重なマスターテープの貸出は一切おこなっていないようで、デジタルコピーしてもらった音源からアナログ盤を制作している状態であるらしい。
現代のレコードが要は記録媒体がレコードというだけの言わばアナログ盤もどきであることを考えるとデジタルプロセスが全く介在していないオリジナル盤は音が良く非常に貴重な物であることが理解できる。
減りはすれど増えることは決してないジャズのオリジナル盤。いつまでも大切にしたいものである。とこんなことを書いている当の私はアナログ盤とはまた違った魅力的な音がするハイレゾ音源も大好きなのだが。
2012年10月15日月曜日
湘南Beach FMと小さなネットラジオ
「Midnight Jazz」 葉山マリーナのBeach FMから24:00〜26:00に毎日オンエアされている大人の音楽が流れるお気に入りの番組である。
今のいわゆる一般的なFM放送はせっかく高音質での放送が可能なFM波を使用しているにも関わらずその番組内容は単なるトーク番組と化してしまっているのが悲しい。
それとやたらと流れてくる道路交通情報と天気予報。すでにFM放送は家庭のオーディオ機器で再生するソースではなくなってしまっていると感じているのは私だけであろうか。
そんな中、最近はまっているのが上記した「湘南Beach FM」である。朝と昼の時間帯の番組は一般的なFM放送と大差ないが(喋りは数段静かである)夜の番組はいわゆる「大人系の音楽」が多く流れ、そんな中の一つが「Midnight Jazz」である。
私はこの番組をオーディオ機器でも聴くが、我家のWi-Fi環境を利用してコンパクトなネットラジオ専用の機器を各部屋に置きそれから聴くことも多い。
家内がネットで5,000円程で入手したこのラジオ、小さい割に音もなかなかで響きの良い部屋や、そこそこの音量で聴くには必要十分な働きをしてくれており、真空管が暖まってくるのをしばらく待ってから音出しを始めなくてはいけないオーディオ機器にはないメリットもあり大変重宝している。ある意味これも立派なPCオーディオである。
しかしこうしてこの番組を聴いていると、FM放送とはつくずくこうあるべきだと思えてならない。昔、日本のFM局もゆくゆくは多局化し海外局のようにそれぞれのジャンルの曲を専門に流すようになってくると言われたことがあったがそれもはかなく消えてしまった。
今は日本中にあるミニFM局にがんばってもらい、往時のFM放送の雰囲気を是非継承していってもらいたいものである。
2012年9月28日金曜日
良き時代のRCボート
AQUA NEWLINE - 20
コンパクトなレーシング・ハイドロ艇である。エンジンは勿論当時ハイパワーを誇ったイタリア製SUPER TIGER - 19でABC HOBBYのパーツを用い非常に入念に組まれており実際に競技に出場し、その都度手を加えていった痕跡が随所に見られる本物の一挺である。
そうこれは私が組んだ物ではなく随分昔に家内(まだ彼、彼女時代)と神戸に旅行をした時、三宮ガード下の古物屋の片隅に非売品として眠っていた物を格安で譲ってもらい梱包もなしのこのままの状態で新幹線に乗って持って帰ってきた逸話のある品である。
私がRCボートに最初に接したのは幼少期に住んでいた博多の大濠公園という大きな池がある公園であった。ここは当時RCボートのメッカで競技ではないが、いつも誰かしらがRCボートを走らせており見物の人だかりができていた覚えがある。
今思えば井の頭公園をもっと大きくしたような場所で水面に油膜を浮かべながらエンジン挺をガンガン走らせていたわけで、ある意味何でもO.Kの良い時代だった。
そのうちそんな私もRCボートの魅力に惹かれ自身で作り走らせるようになったが、日常的に遊べる場所も序々になくなりいつの間にかフェードアウトしてしまった。このボートはそんな想い出を久しぶりに呼び覚ましてくれた一艇である。
余談だが家内は昔ラジコン店でアルバイトをしていたことがあるそうでエンジンヘリのホバリングが得意とのこと。妙な巡り合わせである。
そんなラジコンも今は環境の問題でエンジンモデルを日常的に気軽に走らせたり、飛ばしたりできる場所が本当に少なくなった。しかしラジコンといえばやはりあのグロー燃料フライトマックスの燃える香りと甲高いエンジン音のイメージで、このハイドロ艇もきっと当時は心地よい音と香りをふりまきながら池を爆走していたに違いない。今は静かに佇むその姿を眺め当時の走りに思いを馳せている。
2012年9月27日木曜日
エレキを飾る
現在リビングには家内が弾く電子ピアノが置いてあるが、リビングでオーディオを楽しむ私としては見た目に楽しい楽器を何か一つ飾りたいと考えていた。そんな折、近所のリサイクルショップでレスポールタイプのこのギターを見つけた。
何やら怪しいフォトジェニックというブランドのエレキで勿論中国製。ディスプレイ用のスタンドをサービスしてくれて一万円という一応動作確認済み、3ヶ月保証付きの品である。
しかし私は生まれてこのかたギターというものを弾いたこともなく、ほとんど触ったこともないのでこのあたりはどうでもよく、飾った時に見た目がきれいでリビングやオーディオ機器にマッチしていることが大前提のまさに飾り用ギターである。
ギターは弾いたことはないが増幅用アンプが真空管アンプであったり、スピーカーがJBLの物があったりとオーディオとは非常に近しい関係にあるのがエレキ。
私が現在使っているパワーアンプの出力管もギターアンプに使うと非常に魅力的なサウンドを奏でると言われている球で、かのスティービー・レイボーンのサウンドはこの球が担う部分が大きいとまで言われていた。この真空管も現在ロシアを中心にレプリカが製造されている。
そんなことでリビングに新しい仲間が増えた。艶々と奇麗なボディーであるが、我家の黒パグは新しい物や、興味を引く物には濡れた鼻をピッタリとくっつけ、最後に「フン」と鼻を鳴らし鼻水を飛ばすのがお決まりなので、それを拭き取って磨くのが日々の日課になりそうである。
2012年9月22日土曜日
SIGNETのハンドツール
先日ホームセンターの片隅で処分価格のついたコンビネーションレンチとラチェット用のソケットを見つけた。
SIGNETというメーカーの物で名前は知っていたものの、実際に手にしたのは今回が初めてである。ぱっと見た瞬間に「うーんこれは」といういつもの閃きで、サイズ的には普段使わない25mmと20mmであったが、2点で1,500円にも充たない金額ということもあり即購入した。
家に持ち帰りじっくりと触ってみるとメッキもしっかりしており、ソケットの内側の造形もきちんとしていてなかなか良い工具という印象である。
調べてみれば創業は1999年で日本、カナダとあともう一国で出資してできたメーカーのようで本拠地はカナダである。自前の生産ラインは持っておらず完全なOEM供給で仕上げに関してのみ自社からスペックを指定して発注しているようである。
特にギアレンチ(メガネ側がラチェットタイプになっているもの)で有名になったらしく,そのギアレンチは日本製ということだ。
私が工具を買い始めた25年程前は、国内メーカーもやっと高級品(KTCのミラーツール等)を出し始めた頃で、それでもまだスナップオン等とは格段の差が感じられ、特にラチェツト関係は雲泥の違いだった。
ところが最近はホームセンターで手に入る比較的安価な工具でも、よほどこだわりを持ったメカニックの方々でなければ充分仕事がこなせるまでのクオリティーを持っている。
それはスナップオンのレンチが1mm刻みでツールチェストに収まっている様は素晴らしいものがあり、大いに所有欲を満たしてくれる。
しかし趣味のツールマニアとしては、反面それはあたり前すぎて面白くない部分もある。そんな時、たまたま行ったホームセンターの片隅で今回のようなちょっとしたスパイス的工具を発見すると妙に満足感が得られ幸せな気分になるのである。
2012年9月17日月曜日
INGRAM M11発売
私の大好きなINGRAM M11がマルゼンより発売される(された)ようです。
最初に発売された当時はマックイレブンと呼んでいましたが今回は単純にエムイレブンと呼んでいます。
何と言っても今回の特徴は以前は別売品扱いだったハンドストラップ、サプレッサー、そして50連装ロングマガジンが付属したフルセットでの発売ということです。
M11好きなら恐らくこれらが別売品であっても全て手元に揃えたいはずですから今回の企画はなかなか良いのではないでしょうか。
ブローバックのスピードも素晴らしいようで小型SMGの醍醐味が存分に味わえそうです。
以前に書きましたが、私は昔MGCから発売になった火薬による排莢を楽しむいわゆるモデルガンのM11を所有しています。このモデルは重量といい樹脂でできたボディーといい、当時としては満足のゆく仕上がりでした。私は実際に使用していない時にも手にとった時の感触や鑑賞に耐えうる外観を望むほうなので今回のモデルがその辺りをどのくらい再現してくれているのかも興味を惹くところです。
しかし久しぶりにINGRAM M11にスポットを当ててくれたマルゼンには感謝です。
これを期に私が愛して止まない(大好物な)INGURAM M11に多くの人が接してくれればなと思っています。
写真の右側に写っているのは1996年Gun誌のM10、M11の特集の写真です。
たかだかこんな小さなSMGなのに本物の存在感、質感、迫力には今更ながらに圧等され目がくぎ付けになる一枚です。
2012年9月14日金曜日
夏に涼しげ白ゴーヤ
今年はオーディオ機器が置いてあるリビングの日除けと遮熱対策を兼ねてゴーヤの棚を作った。普通に植えておけばグリーンのカーテンになるかと思いきや、放っておけばツルはあたり前の如く上に延びてゆくばかりで葉はカーテン状に茂ってはくれない。
ひたすらネットの網目に沿って右へ左へと誘引を毎日繰り返しようやく完成したグリーンのカーテンに見た目も涼しげに実ったのが写真の白ゴーヤである。
庭にあるフレンチブルーの作業テーブルに乗せてみるとそのコントラストが美しい。
こうやって収穫したゴーヤを庭先で前出のナイフとアウトドアストーブを使って早速調理する。暑い中、モウモウと黒煙と炎に包まれてプレヒートを終了し着火。炎が安定してしたら調理開始である。メニューはあたり前だがチャンプルー。恐らく炒めている時間よりストーブの準備の方に時間がかかっているのだが、このストーブをわざわざ使いたいのだからしょうがない。趣味とはこういうものである。
市販の味噌味の効いたモツを一緒に炒めるのが我家流で、それに卵と焼肉のタレを少々加えるとマイルドな苦みの白ゴーヤとの相性は抜群でビールの友にもご飯の友にもなる。
こうしてできあがった白ゴーヤチャンプルーを冷えたハートランドビールと共に食す。ZOOT SIMSのサックスが少し開けた窓から聴こえてくる。至福の時だ。
今年の夏は異常に暑く感じるが、こんな時だけは「やっぱり夏は暑くなきゃ」と勝手なことを思う。
何も何処かへ出かけなくとも庭先でもこんな気持になれる。まさに趣味は日々の彩りであると実感した一日だった。
2012年9月3日月曜日
Optimusアウトドア用ストーブ - RANGER
Optimus RANGER オプティマスの灯油を燃料とする小型のストーブである。
15cm四方ほどの箱の中に燃料タンクと大型のバーナーを備えたRANGERの名が示す通り小型ながら火力も充分な本格的モデルだ。
このモデル燃料が何処でも手に入り、価格も易い灯油というところが便利そうで手軽な感じがするが、取り扱いの難しさ(着火)に関しては数あるストーブの中でトップクラスだと思う。
まずタンクに灯油を入れ、蓋のニップルに付属の加圧ポンプを差し込みポンピングを行うが、通常のホワイトガソリンを使うモデルより更に充分に加圧する。
次にバーニングペーストをバーナーの下の皿にたっぷりと置きバーナー部がチンチンに加熱するまで、これでもかという位にプレヒート(予熱)を行う。灯油は不純物も多く気化しにくいためこの作業を充分に行わないとバーナーから灯油が霧状に出てしまい上手く着火しない。
バーニングペーストが燃え尽きてきたら火力調整ツマミを回し点火する。点火後に火力を安定させるのが大変でしばらくの間、黒煙と炎が激しく立ち上るが、それに驚かず火力調整ツマミの開閉を小刻みに行っていくとやがてオプティマス特有のキレイな青い炎でバーナー全体が覆われる。
以上が着火までのおおまかな流れである。特に一般的な家庭用灯油での着火が難しく、慣れるまでは割高になるがWHITE BEAR等の不純物の少ない灯油を使ったほうが良いかもしれない。なんだか面倒くさく扱い難く感じるアウトドアストーブであるが、災害時などはホワイトガソリンやガスカートリッジの入手が極めて困難になるはずなので、このような灯油が使用できるストーブは絶対に重宝するはずである。
2012年8月30日木曜日
あたり前のガラード301
ジャズ好きにはあまりにもあたり前すぎるガラード301である。
しかしこれでなくてはダメである。
トーレンスでは音が美しすぎる。テクニクスでは音がほぐれてくれない。マイクロも同様。EMTはフォノイコライザーが全てを牛耳っているように聴こえる。
そんな中でガラード301は重箱の隅をつつくような女々しさはなく、ジャズの美味しいところを過不足なく聴かせてくれる私にとってはなくてはならない存在である。
ハンマートーンのボディーやターンテーブルの外周にストロボが刻ざまれていないタイプなど様々なバリエーションがある本機であるが私が好きなのは恐らく最も流通量が多いであろう写真のモデルである。繊細さと武骨さが同居したこのデザインがなんとも良い。
現在、我家はオーディオ的に興味がなくなったCDプレーヤー(CDソフトも)を処分してしまいレコードとPCが主音源となっているが、この2種類の音源が上手く同居している状態である。
今まではどちらかというとアナログ至上主義であったがPC環境を整えハイレゾ音源等を聴き始めるとアナログにも出せない粒立ち、音の広がりの再現などが分かりだし結構はまっている。音が中心にガツッと集中する感じのレコードと日々の気分によって聴き分けるのも楽しみの一つである。
今日はターンテーブルにレッド・ガーランドでも乗せようか。
2012年8月20日月曜日
命を支えるナイフ
今更ながらではあるがスイスアーミーナイフ(十徳ナイフ)は非常に役に立つナイフである。特に自然災害が多発している今日1人に一本は必需のような気さえする。
ナイフは知恵の使い方次第で無数の使用方法がある。切る、こじる、ネジを回すなど小手先のことから、斜面からはい上がる時に木の根っ子や地面にナイフを突き刺し体を支えるなどの直接生命にかかわる状況にも頼もしいパートナーとなってくれるはずである。
そんなアーミーナイフであるがあまりにもブレードの種類がつきすぎたものはかえって使い勝手が悪いし実戦的でない。
私がいろいろ使った中で使い易いのはナイフ、栓抜き、缶切り(栓抜きと缶切りの先端はそれぞれ大と小のマイナスドライバーを兼ねている。+ネジはマイナスドライバーでも締めたり緩めたりできるのでこれで兼用できる)程度がついているもので、あとできればハサミがついていれば機能はこれで充分である。このくらいのブレード数だとグリップの厚みも丁度良く実際ナイフとして使用した時も力も入り、細かい作業もしやすい。
そんな中でのお気に入りは「ソルジャー」というモデルである。まず数ある種類の中でこのモデルはグリップ部分がアルミ製で深いローレット加工がしてり、滑りにくいし何といっても丈夫で、緊急時にハンマー代わりに尻の部分で物を叩いてもへっちゃらである。
私はキャンプなど泊まり込みのアウトドアでもナイフはこの一本でとにかく役に立つ奴である。余談ではあるがこの「ソルジャー」戦地で使用する際、ブレードに光が反射して敵に発見されないよう他のモデルのようなポリッシュ加工は施されていない。
明日にでも大災害が起きるかもしれない今の日本。ナイフを本当に使いこなす時が来たのかもしれない。
2012年8月14日火曜日
ミリタリーコンパス
確か昔、父親が沖縄に出張に行った時の土産だと思う米軍のミリタリーコンパス。
1962-11の刻印があるのでベトナム戦争当時の物と思われる。
私は小さい頃からミリタリー物が好きで父親と一緒によくアメ横の中田商店などに出かけた。その頃はベトナム戦争がまだ続いていたので、米軍からの放出品(その頃は払下げ品と言っていた)が今で言うミリタリーショップは言うに及ばず、ありとあらゆる場所で売られていた。
1975年に戦争が終結した後も10年間以上このような状況が続き,新宿は紀伊国屋書店の裏路地で露天商まで出ていたくらいである。
そんなベトナム戦争も遠い日のこととなった時に貰ったのがこのコンパスである。確か何点かあったうち一番使い込まれたものを買ってきたと言っていた覚えがある。今はもう光らなくなってしまったが、コンパスの文字盤には大量の夜光性物質(恐らくトリチウム)が塗られており夜間の発光時間及び視覚性は相当のものであったはずで、放射性物質が厳しく規制され一定時間しか発光しない蓄光塗料を代用している現在の同型のアウトドア用コンパスとは一線を画す部分である。裏面には例の放射線マークが大きく刻印されている。きっと当時M16A1アサルトライフルと共にジャングルの中の米兵達の生命線を握っていたのであろう。
銃火器を含め戦場から生まれてきた物達には、それがどんな小物やパーツであろうと民生品が足元にも及ばない凄みや存在感,信頼性が感じられる。
私は戦争そのものを肯定しはしないが、戦争というその環境が生み出した技術やメカニズムは大いに肯定したい。
2012年8月7日火曜日
アル・マー/シリアタック
夏になるとアウトドアに接する機会も増えるため、休みの日などはそれらに関連する小物達を物色しメンテナンスにいそしむ日も多くなる。
今日はアル・マーのナイフである。このナイフはグリーン・ベレーに所属していた中国系アメリカ人アルフレッド・クラーク・マーが軍の依頼により開発したナイフとされている。グリップ先端のダブルヒルト部分とレザーケースには「抑圧からの解放」を意味する文字が刻まれたグリーン・ベレーの紋章が刻印されている。
440Cの高硬度ブレード、ハンドル部分はグリーン・マイカルタで過酷な使用にも耐える。
そして何よりこのナイフが岐阜県関市はG・サカイ製のmaid in japanであるということ。
(サカイは一時,ガーバーのブレードも製造していた)
さすが日本刀で築かれた日本の刃物技術は特殊部隊の厳しい要求も難なくクリアしてしまうようである。そういえばU.Sマリーンで使用されていたカーショーのナイフのブレードは貝印製でこれもまたmaid in japanである。
しかしこの様に素晴らしい製品達も様々な殺傷事件に使用される可能性が高いとされ序々に所有や携行が難しい時代になってきている。
既に両刃の剣状のものは55mm未満の物しか携行はおろか所有自体が禁止されてしまった。
剣状のナイフにはガーバー・マークⅡなど見た目にも美しいモデルが多数あったので非常に残念でならない。
一部の心もとない人の行動が趣味としてのナイフの世界を極端に狭めてしまっている。
人類が太古の昔から親しんできた「刃物」。その実用性と造形美である時から趣味の世界に入り込んできた様々なナイフ達。私達はこの趣味が長く続けられるよう理性を持ってナイフに接してゆかなければならない。
暑い夏の一日、アル・マーを眺めながらの思いである。
2012年7月23日月曜日
我家のINGRAM MAC-11
先日、引越してきてずっと未開封だった段ボール箱から懐かしいSMGが出てきた。
MGC製のINGRAM MAC-11である。
20年以上前に今はない横浜のホビー店で購入したものだ。私は特別モデルガンマニアでも何でもないが、雑誌で実銃の写真を見た時、機械物好きの私の琴線に触れたのがMAC-11である。製造コストを押さえるため、組み立てを簡素化し不良品の発生をできるだけ排除し、使用中のメンテナンスを容易にするその極めて単純なメカニズム、そして外装は溶接等を極力減らしたプレス鋼板のシンプルだが必然から生まれた凄みのあるフォルムを形成している。
そんな矢先きこのSMGがモデルガン化されたことを知った。さすがに金属モデルで発売されることはなかったが,その質感をできる限り再現するために外装は特殊な樹脂で造られ要所は金属部品が使われていて、サイズに比してズシリとくる重量や、持った時のバランスはすばらしいものがあった。普通ならここで火薬をセットしブローバックを楽しむところだが、私がモデルガンマニアでないのがここで一度もこのSMGを動作させたことがない。ただ手にとってその質感を楽しんでいただけである。
一般の人々から見れば「殺傷するための道具をオモチャにした物」ということになってしまうが、このSMGは機械としての魅力で今も私の心を捉えて離さないのである。
これは無類の機械好きにしか分からないことであろうが。
2012年7月13日金曜日
古いラジオに想う
我家に恐らく1960年代の製品と思われるRCA VICTOR製の真空管ラジオがある。
主にAFN(FENのほうがしっくりくるが)を聴くのに使っている。電源を入れてしばらくはバリ,バリとノイズがで出るが,その後は温かい潤いのある音を聴かせてくれる。
カントリーミュージックやジャズは別格の味わいで,特に人の声は素晴らしい。よってニュース等もとても心地よく聞こえる。これを聴いてしまうと真空管式のチューナーが欲しくなってしまうような音色である。
真空管式チューナーはやがてソリッドステート式になりアルプス電気がバリコンの製造を中止したことにより全てシンセサイザータイプになってしまった。
これらの経緯は現状より更に音を良くするための変遷ではなく,ただ単に使い易さ,製造手間の簡略化,コストダウンのみを追求したものであると私は思っている。
世の中の工業製品はこの道筋を辿ることがある意味宿命ではあるが,だからやはりオーディオ製品の純粋な音の完成点へは現在よりももっと以前に到達していると考えるべきであろう。
現代のオーディオ機器に魅力を感じられないのは案外こういうところに原因があるのかもしれない。私も含めビンテージオーディオに走ることは懐古趣味でも何でもなく音楽好きにとっては至極自然な行為であると思う。
重箱の隅をつつくような理論の上にたった製品はもううんざり。古い小さなラジオ一つに今のオーディオ機器は太刀打ちできないのである。
2012年7月9日月曜日
U.S.NAVY Type G-1
先日クローゼットの整理をしている時に懐かしいジャケットを発見した。写真にあるホースハイド製アメリカ海軍のG-1である。
これはレプリカやデザイナーズ物とかではなく、30年程前に入手した第二次大戦中に使用されていたれっきとした「本物」である。当時は都内でビンテージ物の古着とかを扱っている、ちょっと気の利いた店には一着や二着このような「本物」のフライトジャケットが置いてあったものだ。
非売品も結構あったが、話しのなりゆきによっては譲ってもらえることもあった。
ダグラス SBD ドーントレス急降下爆撃機やグラマン ヘルキャットのパイロットが身に付け大空を飛び回っていたであろうG-1は第二次大戦まではU.S.NAVYを示す印が襟の裏側に記されている。ボアのついた襟を立てると、ちょうど後の首筋の辺りに「U.S.N」または「U.S」の文字がペイントされている。また、裾と袖口のジャージも上側と下側が二段の異なった編み方のとなっている。
これに対し第二次大戦以降、朝鮮戦争くらいの年代になるとフロントファスナーを開くと見える風除けのフラップの下部に「U.S.N」の文字がパンチングされているタイプとなる。ジャージの編み方も一般的な物となっている。現在レプリカとして出ているものは、大体が朝鮮戦争以降のモデルである。
当時のフライトジャケットはサイズが小さい物が多い。写真のものも日本のMとLの中間位のサイズで体のそう大きくない私が着ても小さいくらいである。
それは当時のフライヤー(パイロット)は身体の小さい者が選ばれていたということである。狭い戦闘機のコクピット、航続距離(燃料消費量)、運動性能を考えても搭乗員はできるだけ小柄なほうが良いわけである。
大きいサイズのジャケットは主に地上勤務のスタッフ用だったようである。したがって小さいサイズの物のほうが当時実際にフライヤーが袖を通し、大空を飛びまわっていた可能性が高い。そしてこれこそが本当の本物といえる。
こんなことを1時間も2時間も話しながら手に入れたこのG-1は私自身のフライトジャケットブーム真っただ中時代の懐かしい一品である。
2012年7月5日木曜日
足元にも及ばない音
近くに里山がある大きな公園があり、月に何回か愛犬の体力作りに出かけている。
雑木林の中を歩くたびに感じるのは、自然界の音が何とすばらしいかということである。鳥のさえずり、木立を揺らす風の音、夕立前の雷鳴などなど。
そしてこれらの音を耳にするたび「この音を再生、再現することは到底無理だな」ということである。
機器の新旧に関わらずあるグレード以上のオーディオ装置は、時として実際の楽器や演奏以上に「それらしく」聴かせることがある。特にジャズなどはマスタリングの妙なのかその傾向が強い。
楽器などは演奏される場所などを考慮にいれ、不確定な要素を取り除いて演奏し、それなりのミキシング、マスタリングをほどこせば一定レベル以上のクオリティーの音を収録することは可能であろう。またその収録環境が分かれば再生、再現も比較的容易である。
しかし、自然界に存在する音はそんなものとは全く違う。何がどの様に影響しあい、また何万種類の音が複雑に重なりあって今その音が耳に届いているのであろうか。
これはもう神のみが知る音の世界である。このような音世界をたかが電気を使った機器で収録し、それをまた電気をつかったオーディオ機器ごときで再現できるわけがないのである。
自然界が発生する音は何もかもが別格である。あまたある楽器の銘機、それらを収録した音源を再生するオーディオ機器の銘機。
しかしこれらが束になってかかってこようと、自然が発生する音の足元にも及ばないのである。
2012年7月2日月曜日
PC音源でTANNOYを聴く
今、音源はアナログとPC、そしてFMである。FMチューナーはNHK-FMを聴くためにあるようなものだが、他の音源にはない独特な音世界があり気に入っている。この辺のことはまた後々のブログに書いてゆきたいと思っている。
このところ、クラシックを聴く時間が増えた。というのもPCから再生した音源とTANNOYの相性が非常によく、気持ちよく音楽が楽しめるのである。
昔からTANNOYのデュアルコンセントリックユニットは管楽器やピアノの高音域が時として耳障りに聴こえることがあると言われてきた。
私もCDを再生していた時は同様の思いをしたことが時々あった。それがPC音源にしてから同じ楽曲でもそう感じることが少なくなった。
人間の耳は測定器を遥かに越える何かがあると言われている。きっとそんな部分がほんの微妙なニュアンスの違いなどを察知するのであろう。
CDプレーヤーは内部でエラーの補正をしたり様々なサーボがかけられたりと、ある意味余計とも思われる細工をして音を再生しているがため、これが裏目に出ている気がしている。
PC音源もオーバーサンプリングなどをして再生すると途端、音に嫌味な感じが付いてくるようで、オリジナルのサンプリングレートで粛々と再生した音が最も私にはよく聴こえる。
CDプレーヤーの場合、高速で回転するディスクからのストリーミング再生であるため、諸々の処理は仕方ないところではあるが。そしてある意味これが「44.1kHZ/16bitを回転するディスクから直接再生する」ことの一つの限界点であるように思われる。
やはり元がファイルなのだから、ファイルの処理はPCにお任せておくのが一番というところか。
またこの先どのようなファイル形式が登場しようと、それはPC上で作られたもの。今からCD音源をPCに取り込んでおけば、この先CDプレーヤーがこの世から消え去ろうと、その楽曲が聴けなくなることはまずないはずである。
レーザーディスクもビデオデッキもMDもDATもすでに消滅してしまっているのに近い状況である。今のうちになくなる可能性が極めて低い媒体に自分の長年に渡るコレクションを保存しておくのは大事なことなのかもしれない。
2012年6月12日火曜日
突然の頂き物
私はモデルガンやエアガン、ガスガンを特別趣味としたことがあるわけではなく、若い頃に時々「GUN」や「COMBAT MAGAZINE」を時々読んでいた程度である。
ただ大学時代の知人に一人、モデルガンマニアがいて下宿していたアパートで「あーだ、こーだ」とよく銃の調子をみていた奴がいたことはある。
とそんな程度の思い出しかない私の手元に、先日ある知人の方から一丁のエアガンを頂いた。調べてみると1990年代にサバイバルゲームの世界でそのハンドリングの良さから一世を風靡したマルゼン製「LUGER KG-9」というサブマシンガンらしい。
初期モデルはBB弾の発射とともに薬莢が排出される仕様であったらしいが、サバイバルゲームではこの薬莢を回収するのがえらい手間ということで、それ以降のモデルは薬莢は使わずBB弾の発射だけとなり、これに伴い排莢システムはなくなったということである。
ということで、手許の銃のマガジンを抜いて見てみるとこのマガジンは薬莢が装填できる構造のようなので、恐らくこのKG-9は初期のモデルではないかと思われる。
ともあれ銃に特別な造詣があるわけでもない素人が調べたことなので、誤りがあってもご容赦願いたい。
しかし、銃に限らず「意味のあるメカニズム」をもつ構造物の造形にはいつもほれぼれさせられる。
当たり前であるが、そこには寸分の隙もない。ただその機能、動きをつかさどるためのみの構造がそこには存在する。
今回ひょんなことで、手許にとどいたKG-9の内部を覗きながら改めてそんなことを考えている。
2012年5月31日木曜日
酒とバラの日々
我家のバラが見頃を迎えている。
ピエール・ドゥ・ロンサールという名のバラで香りは少ないものの、その花びらは幾重にも重なり素晴らしい造形を見せている。
私は妻のガーデニングの手伝いをする程度で、これといった知識もないが、このバラのただものではない佇まいは、知識などなくても誰が見ても直感的に「これは」と感じるものがあるだろう。
この何輪かを摘み取り部屋に飾ってあるのだが、それを眺めていて頭に浮かんだのが「酒とバラの日々」である。ジャズのスタンダード曲でオスカー・ピーターソンをはじめ、さまざまなミュージシャンが名演を残している。
そんな中で私がとりわけ好きなのがレッド・ガーランドのMPS盤「THE QUOTA」A面の2曲目の演奏。
我家のオーディオ・システムの調子を見る上でのバロメータともなっている1曲である。
「酒とバラの日々」 これはいったいどの様な生活なのか。手許には酒とバラさえあれば、あとはもう何もいらないという究極の選択か。昔、ポール・マッカートニーが「リンダ(亡くなった奥様)とマーティン(ギター)が傍にあれば(いれば)、あとは何もいらない」といっていたことを想い出す。
名声を含め、全てのものが手に入ってしまった人間の思いなのか。
それとも、酒とバラに囲まれたゴージャスな生活なのか。美しいバラを見ながらこんな下世話なことを考えてしまう。
庭のバラは今日も陽光を浴び大輪の花を咲かせている。
2012年5月29日火曜日
CDが消えた日
2012年5月 私のCDコレクションが消えた。
1983年にCDというメディアが誕生して今年で約30年になるが、アナログディスクに比してその音質に満足がいかず、その導入はずっと後になってからのため、付き合いはわずか15年程であった。
CDから急速に気持ちが離れていった理由は、ここ1、2年PCオーディオやネットワークオーディオに親しんできたことにある。
CDを直接CDプレーヤーで聴くよりPCに一度データファイルとして取り込んでから再生したほうが明らかに音が良いのである。
そんなことでここしばらくは新しいCDを購入しても、それをそのままCDプレーヤーで再生することはなくなっていた。
PCが現在のように一般的ではないCDが開発された当時、44.1KHz/16Bitの音楽データを記録できるメディアがたまたまCDであっただけで、音が良いからの理由で選択されたわけではないはずである。
ならばデジタル録音であるCDは広い意味で言えばPC録音のため、PCに戻してあげた方がより自然なことなのではないか。
ノイマンのカッティングマシンでカットしたレコードを、そのカッティングマシンを改造して作ったプレーヤーで再生すると音が良いという話しと同じである。
「PC音源にはジャケットがないから」という人も多いと思うが、一度その音の良さに触れてしまうともう二度とCD再生に戻れない。すると、今まで音源として所有していたCDが急に色褪せて見えてしまい、レコードと違いCDのジャケットには思い入れがない私はそそくさとCDの処分に走ってしまったという訳である。
そんなことで2012年5月は心に残る日となった。
写真にあるのは、唯一手元に残ったDuke JordanとPeter IndのWAVE盤
2012年5月16日水曜日
ジャズとコーヒーと吉祥寺
世の中にはとにかく極めないと、行くところまでいかないと気がすまない人達がいるものです。
写真にある二冊の書、左側が以前吉祥寺にあったコーヒー店「もか」店主、標交紀氏(故人)について嶋中労氏によって書かれた一冊。右側がこれも吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」店主、寺島靖国氏の著書である。こちらのお店は現在も営業中で主人もいたって元気である。
タイトルはそれぞれ”コーヒーの鬼が行く 吉祥寺「もか」の遺聞”、”一歩前進三歩後退 JAZZオーディオ魔境の旅”である。
この二冊を読んで思うことは、この分野に興味、趣味のない普通の人からしてみたらお二人には大変失礼な言い方になってしまうが「バカじゃないの」と言われるのが関の山。
ただ私を含め自分の好きなこと、趣味に対して少々「行き過ぎ君」的な人から見れば「やっぱりここまでやらんといかんのかな」と妙に共感できる部分があったりする。好きなJazzでも聴きながら読むにはなかなか良い二冊である。
ところでジャズ喫茶全盛の時代から今日に至るまでコーヒーとJazzとオーディオは切っても切れない間柄である。そんなそれぞれのジャンルで頂点といわれる二人が吉祥寺という一つの街で同時に花開いていたことにやはり吉祥寺という街は他のどの街とも違うと思わせるものがあるのである。
一年程前まで、この「メグ」でのイベントに足げく通っていたがこのところご無沙汰している。何回かは家内と一緒に伺ったが店主の寺島氏との話しも盛り上がりなかなか楽しいひと時であった。
と同時にジャズというもので生活の糧を得るには「厳しく、無理がある時代になったな」ということも実感させられた時でもあった。
吉祥寺 また久しぶりに行きたくなった街である。
2012年5月9日水曜日
デジタルとアナログの共存
「デジタルもアナログも素敵だ」これが私の結論である。
世の中には「アナログでなければオーディオにあらず」、「PCオーディオなんぞはもってのほか」「パッケージメディアこそ至高」等々の意見があるようですが、私はここにきてそれが間違えだということに気づき始めました。
ここにきて我家のPCオーディオ環境もようやく整ってきました。PCオーディオといってもパソコン好きの方がやっているコテコテの物ではなく、今までのオーディオ装置に寄り添える簡素なシステムです。
私にとってはベストな状態の時は「どうだ参ったか」のような高音質なサウンドを奏でるも、不調な時は「音が途切れる」「途中で止まる」などというシステムには興味がありません。
PCオーディオにはどうもこの様なイメージがつきまとい、導入に躊躇している方も多いのではないでしょうか。安定した動作で難しくないシステムを私は理想としています。誰が何と言おうと「音楽再生機器」ですので。
こんなことを考えつつPCにリッピングしたJazzを聴いているとデジタルとアナログは、どちらがどうのと言わずオーディオは勿論、今話題の書籍の分野でももっと共存してゆく道を考えていくのが良いのではないかと思い始めましたのです。
LPやCDもある程度以上数が増えてくると管理も大変ですが、聴きたい盤を一発で探しあてるのに苦労します。特に紙ジャケットのCDは背文字が小さく何が書いてあるのかすらよく分かりません。
書籍に関しても同様です。私も音楽関係の本をよく読むのですが字が小さいものは年齢柄大変です。職場でも本を読まなくなったのはやはり同様な理由で目が疲れるからという人が何人かいます。
こういう時、ディスプレイに曲目、タイトル、文章が表示され、思い通りに文字の大きさが変えられるPCオーディオ、電子書籍は非常に便利です。
また電子書籍は文章と写真が連動していたり、資料写真に関する更に詳細な記載が別項目で開けたりと、従来の実書籍にはない利便性も魅力の一つです。
私が好きな長崎は「軍艦島」の写真集などは実書籍に加え、ネット上でも電子書籍の形態とは違いますが(本をめくるように閲覧できるわけではない)更に詳しい資料が公開されていて、これなどはまさに「電子書籍」ならではな感じです。
この写真集に関してはまた日を改めて書いてみようと思っています。
スマートフォンやタブレット端末など様々なものにリンクし1台で何役もこなし、その使い方にある意味際限がないのが「デジタル物」そしてそれ一つで形として物として完成の域に達しているのが「アナログ物」のような気がします。
せっかくこの様にそれぞれ特徴、魅力がある物たちですからお互いに淘汰しあうのではなく、それぞれに長く共存していってもらいたいものです。
世の中には「アナログでなければオーディオにあらず」、「PCオーディオなんぞはもってのほか」「パッケージメディアこそ至高」等々の意見があるようですが、私はここにきてそれが間違えだということに気づき始めました。
ここにきて我家のPCオーディオ環境もようやく整ってきました。PCオーディオといってもパソコン好きの方がやっているコテコテの物ではなく、今までのオーディオ装置に寄り添える簡素なシステムです。
私にとってはベストな状態の時は「どうだ参ったか」のような高音質なサウンドを奏でるも、不調な時は「音が途切れる」「途中で止まる」などというシステムには興味がありません。
PCオーディオにはどうもこの様なイメージがつきまとい、導入に躊躇している方も多いのではないでしょうか。安定した動作で難しくないシステムを私は理想としています。誰が何と言おうと「音楽再生機器」ですので。
こんなことを考えつつPCにリッピングしたJazzを聴いているとデジタルとアナログは、どちらがどうのと言わずオーディオは勿論、今話題の書籍の分野でももっと共存してゆく道を考えていくのが良いのではないかと思い始めましたのです。
LPやCDもある程度以上数が増えてくると管理も大変ですが、聴きたい盤を一発で探しあてるのに苦労します。特に紙ジャケットのCDは背文字が小さく何が書いてあるのかすらよく分かりません。
書籍に関しても同様です。私も音楽関係の本をよく読むのですが字が小さいものは年齢柄大変です。職場でも本を読まなくなったのはやはり同様な理由で目が疲れるからという人が何人かいます。
こういう時、ディスプレイに曲目、タイトル、文章が表示され、思い通りに文字の大きさが変えられるPCオーディオ、電子書籍は非常に便利です。
また電子書籍は文章と写真が連動していたり、資料写真に関する更に詳細な記載が別項目で開けたりと、従来の実書籍にはない利便性も魅力の一つです。
私が好きな長崎は「軍艦島」の写真集などは実書籍に加え、ネット上でも電子書籍の形態とは違いますが(本をめくるように閲覧できるわけではない)更に詳しい資料が公開されていて、これなどはまさに「電子書籍」ならではな感じです。
この写真集に関してはまた日を改めて書いてみようと思っています。
スマートフォンやタブレット端末など様々なものにリンクし1台で何役もこなし、その使い方にある意味際限がないのが「デジタル物」そしてそれ一つで形として物として完成の域に達しているのが「アナログ物」のような気がします。
せっかくこの様にそれぞれ特徴、魅力がある物たちですからお互いに淘汰しあうのではなく、それぞれに長く共存していってもらいたいものです。
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